『ソシオパスの歯車』 3、インテルメッツォ(間奏)

こんにちは、meganejiです。

ちょっと間が空きましたが『ソシオパスの歯車』です。

こちらは前回の続きからちょっと独立した、ここだけの章となります。閉鎖病棟に入院している患者たちの思いと、光一の思い出のお話です。短く書いたつもりですので読んでいただければ幸いです。

『ソシオパスの歯車』

                  著者:眼鏡爺

3 インテルメッツォ(間奏)

12月に入ると、外界と言う巷では、国を挙げて日本人の『無宗教祭典』の活動準備が進められ、寒さと共に盛り上がりを見せ、街を彩り、音楽が溢れ、祭りのピークに向かって一直線に進んで行った。

 

病院内では、OT(オキュペーショナル・セラピー:作業療法)のレクリエーション・プログラムの一環として、クリスマス・ピアノ・コンサートが開かれた。

何か月も前から、病院職員により準備され、進められて来たプロジェクトで、229人いる心療内科の入院患者たちを、3回に分けて、ピアノ演奏の鑑賞会に招待するという一大イベントだ。

OTとET(エクササイズ・セラピー:運動療法)に使われる、4号館の多目的ホールには、明るいグレーのリノリウムの床に、パイプ椅子が、視聴希望の職員分も含めて、88脚並べられていた。

クリーム色の壁に囲まれた、会場の中央には、赤いリボンをあしらった、濃い緑の大きなクリスマス・リースが、低い天井からぶら下がり、そこから四方八方に、金と銀のモールが伸びて、ピカピカ輝きウエーブしながら、大きく放射線状に広がって、4方の壁にまで達していた。

その間を、黄色や青の星々を吊って、賑やかさと、楽しさを演出している。

それらを冷たく見渡すように、正面の小さな演壇には、ちょっと大きめのS6Xグランド・ピアノが屋根を2段の位置に開けられて、キャスターを観客側に向けられた状態で据えられている。

奏者が座る椅子側の奥には、ノッポのクリスマスツリーが置かれ、赤や青のイルミネーションの映り込みが、演奏の邪魔にならない様に調整されて瞬いていた。

患者たちが、入場して来る。

きょろきょろ、へらへらと、職員に連れられて席に付き、ジュースが配られ、そわそわ、せかせかと落ち着きのない会場で、クリスマス・ピアノ・コンサートの開会の辞が告げられた。

手を広げ、肘を張り、隣にぶつからんばかりに体を使って、手を叩く患者たちの拍手は、不器用で、不揃いで、それでも熱心に、それ以上に一生懸命大きな音で、会場の空気を精一杯に震わせた。

演壇に、赤いドレスのピアノ奏者が入場して来た。

彼女は、各地の施設や病院をボランティアで回っていると云う、著名な女性ピアニストで、演目は、全てポーランドの作曲家ショパンの作品で固められていた。

 

拍手が止み、奏者の両腕が上がり、ピアノの鍵盤にそっと手をかぶせるようにして停まった。

と、次の瞬間、不意打ちを掛けるかの様に、両人差し指が鍵盤を強く押し、重厚な和音の鋼(はがね)を聞く者の心に打ち込んで来た。続いて左指が鍵盤を這う様に流れ、6連符の伴奏和音を繰り返しながら、右手が主旋律の最初のパッセージを素早い指の動きで奏で出し『幻想即興曲』の厳かで、格調高い調べが始まった。一瞬で心を鷲掴みにする、鮮烈なテクニックが耳を奪い、複雑で厚みのある、切ない音の旋律が聴衆の心を奪う。

2つの腕が、異なる調べを夫々に奏で、それぞれの音は、夫々に踊り、交じり合う事無く、華麗に絡み合いながらも波の様に美しい短調の調べを作り上げて行く。

赤いドレスの魔法師の指は、時に強く、時にゆっくりと、人の魂を引き寄せて、聞く者の乾いた心を開かせ、傷付き欠けた器に、優しい音の温もりを流し込んで行ってくれる。
途切れる事なく鍵盤を操り、しっとりとした豊潤な音の世界に、孤独な魂を浸して行ってくれる。

音の揺らぎが作り出す、幻の世界に引きずり込まれて行った会場には、豊かな水と緑に囲まれた、生命の息づく雄大なポーランドの大湿原の湖面が現れた。 

魔法の音は、目の前に水鳥たちを出現させ、優雅で自由に飛び回る華麗な姿に、厳しい自然を生き抜く強さと切なさを表現させた。 

胸の奥に強く訴えかけられる、命の重たさに、会場中が息をひそめて、与えられる音の世界に聞き入った。

大湿原の幕が下り、

短い沈黙の後、くるりと場は転じ、毬が転がる様なテンポの良い『小犬のワルツ』が現れた。小さくかわいらしい小犬が、自分のしっぽを追って、くるくると回って遊ぶさまを曲にしたと言う、小気味良いリズムが、心を弾ませる。

鍵盤の上を流れる様に踊る指は、会場中を駆け回り、閉ざされた淋しい心に、ほんのひと時、現実を離れ、無邪気に人生を生きる喜びと、楽しみを味あわせてくれた。

奏者は、曲間に絶妙な間を持って音を演じ、会場は、優しく指を絡められたまま、その後30分に亘って演奏は続けられ、患者たちのひび割れた心に、ゆっくりと暖かな温もりを塗り被せてくれた。

ふんわりとした肌触りと、包み込まれる様に温かい、光り輝く音の世界を回遊して行く時が過ぎて行く。

 

ピアノと過ごす、夢の世界の扉は、静かに閉じられた。

クリスマスにちなんだ曲は、なかったけれど、そんな世間の温もりから外れ、裏寒く、乾いた人生を歩む者たちには、ピアノが奏でてくれる全ての演目1つ1つが、音で作られた荘厳で清らかな聖夜の調べだった。総天然色の暖かな、温もりの世界だった。 

始まる前には、へらへらとしていた患者たちも、ピアノと、その奏者を通して送られた、まさにエスペシャルな魔法のひと時を楽しみ、最後の曲が終わるまで、うめき声ひとつ漏らす事のない濃密な時間に浸り切った。

ふと、隣にいる光一を見ると、天井から吊るされた、クリスマス・リースを見上げながら、こぼれる涙をそのままに、一生懸命拍手をしていた。

光一は音の世界に、ある雨の日の出来事を思い出していたのだ。

封印して錆び付いた、記憶の鍵を『小犬のワルツ』が銜えて来て、『雨だれ』が錆び付いた鍵を開け、扉の中に踏み込んで、思い出と一緒にワルツを踊り、ドレスを踏んで引き裂いた。

封印した過去が『別れの曲』で蘇り、涙が止まらなくなっていた。

涙と一緒に、心が血を流す。流す血は、過去から赤く線を引き、今でも線は途切れない。

黒い罪の赤い糸。

雨に流れる赤い糸。

 

それはまだ、一家で、古い借家に、住んでいた頃の事だった。

光一は、小学生の頃、小犬が大好きだった。

何時も、弟の由二を誘い、休みの日には、近くのアーケード街にあるペットショップで、小犬を見て楽しんでいた。

その頃の光一は、家に小犬の居る生活を、近い将来には、叶う夢として、心に思い描いて楽しんでいたのだ。 

……思えば、あの頃の未来には、幸せしか見えなかった。

「由ちゃん、こっちを見てみろよ。今週、店に来たポメラニアン、本当に可愛いぞ」

「えーどれどれ……。あっ、光ちゃんこの子、茶色じゃないか。白い方が可愛いよ」

「何言ってんだよ、茶色じゃ無くて、金髪だぞ。金髪貴族だぞ!」

「えー、僕、白い方がいいなー。天使みたいで」

当時、小犬が欲しいと言う自分には、母親から、中学受験があるので、勉強が優先で、ちゃんと合格して、面倒が見られる中学生になってからじゃないと、飼うのは、いけませんと言われていた。その代わり、中学生になって、まだ欲しかったら、誕生日に買ってあげるから夢を育てて我慢しなさいと、約束の言葉を貰っていた…… 

だから、言われるままに、見ているだけで、我慢して、中学生になって買って貰って、一緒に暮らせる日を楽しみに夢見ていた。

でも、中学生になった光一には、小犬よりも、他に欲しい物が出来てしまった。学校の新しい友達と、趣味や話題を合わせたかったからだ。  

その為、光一は、誕生日に、MP3プレイヤーや、カセットゲームステーションを買って貰った。皆と同じものが欲しかったのだ。

ところが2年後、弟の由二は、母親の言葉を忘れていなかった。

由二にも、母親から、同じ魔法の言葉が贈られていたのだ。

由二は、中学に合格し、1年生になった年の誕生日に、室内犬の子犬を買ってもらった。

母は由二に言った。

「お誕生日おめでとう。約束の白いマルチーズね。由二もこの子犬ちゃんの、良いお兄ちゃんになってあげてね」

「うん。ありがとう、お母さん。大切に面倒見るよ」

「そうね。由二は、小学生の時からズーッと、この日を待って、夢見て来たんだから大切にしないとね。光ちゃんとも、一緒に仲良く飼って上げてちょうだいね」

「うん、わかったよ。お母さん本当にありがとう」

「はい、どういたしまして。ところで、名前は、何てつけるの?」

「サリー、この子の名前は、サリーにするんだ」

「あら、良い名前ね。魔法使いみたい」

この日、由二は本当に喜んでいた。

その日以来、自分のお小遣いの殆どを、サリーのオモチャや、小間物の為に使って過ごしていた。

母親は、お兄ちゃんと仲良く飼うのよ、と言ってくれたが、由二の誕生日に、由二が、ゲームも音楽プレイヤーも我慢して、買って貰ったマルチーズだ。優先権は由二に有る。  

でも、小犬の居る生活は、最高に楽しかった。一緒に家の中で飼って、一緒に遊ぶのがとても楽しかった。

しかし、眠る時には、2段ベッドの下の段で、何時も由二と一緒にサリーは寝た。日曜日の散歩も、由二がリードを持ち、散歩をさせて、自分は一緒に付いて歩いて、糞の始末をするのが役目になった。それでも、公園で、リードを外して、駆けまわって遊ぶのは、とても、とても楽しかった。

やがて、大人になったサリーは、由二が家にいない時にだけ、自分と仲良く遊び、帰って来ると由二にばかり懐いて、こちらに来てもくれなくなった。でもそれは、仕方のない事だった。由二と一緒に3人で遊ぶのは、変わらなかったのだし、自分は、小犬よりもゲーム機やミュージックプレーヤーを選び、由二がサリーを選んだのだから。

そう、自分に言い聞かせた。

 処が、由二が3年の春休みに、修学旅行で留守になり、光一は、高校2年の春休みの為、サリーの面倒をひとりで見る機会が与えられた。

父親は、いつも会社の付き合いで午前様、母親も、短大の同窓会で田舎に帰り留守だった。

嬉しかった、自分だけのサリーになった。  

ドッグフードをあげ、おやつをやり、遊んであげて、トイレを交換し、散歩に連れて行って、また遊んであげた。

小犬と過ごす時間がとても楽しかった。

でも、寝る時は、さっと由二のベッドに入って寝てしまうサリー。遊んでいても、ふと気付くと、由二のスリッパにじゃれている時

が有る。それを見て、思わず、光一はムッとしていた。

次の日も、いくら沢山遊んであげても、夜は、変わらず、喜んで由二のベッドに入って行った。

おまけに、ベッドから抱き上げようとしたら、歯を剥いて吠えられてしまう。

光一は、本当に頭に来て「お前なんかどっかに行ってしまえ」と、思いっきり叫んでしまった。

その翌日は、朝から本格的な雨だった。

外の様子を見る為に、玄関の扉を開けたちょっとの隙に、何を勘違いしたのか、サリーが外に飛び出した。ちょっと意地悪してやろうと思い、玄関の扉を閉めて、「お前なんかどっかに行ってしまえ」と言いながら、家から閉め出してみた。

暫くしても、吠えたり騒いだりしないので、どうしているのかと思って窓から様子を伺うと、玄関の前でじっと座って、開けてくれるのを持っている。それでは、もう少し懲らしめてやろうと、意地悪な気持ちになり、ちょっとだけ、そのまま放っておく事にした。

しかし、その内、マンガを読み始めて、サリーを外に出している事を忘れてしまった。

3時間、雨の中に放って置いた事になる。気付いて、慌ててドアを開けると、玄関の前には、もう居なかった。

慌てて、探しに行くと、3軒先の電信柱と塀の間に、白い毛を赤黒い血だらけにしたサリーが死んでいた。

口から血を吐いて、どす黒い内臓が飛び出している。

車に轢かれたのだろう。

怖くなって、そのままにして家に帰った。

由二の怒った顔が浮かんで来る。

母の怒った顔も浮かんで来た。

由二が大声で泣いている。

母が大声で怒っている。

気が付いたら、公衆電話に走っていた。

震える声で電話をする。

「さっき、佐々木町で、3の5って書いてある電信柱の所を通ったんですけど、犬の死骸が有りました。雨で血が沢山流れています。内蔵も出ている様なので、不潔ですので直ぐに片づけて下さい」

そう、市役所に電話して、直ぐに切った。受話器の重さが、命の重たさだった。家から電話をするのが怖かったのだ。

 その日の夜、母親が、田舎から戻って来た時、光一は言った。

「ごめんなさい。サリーが居なくなっちゃったんだ。暫く探したんだけど、雨がひどくって……朝方、新聞を取りに行こうと思って、ドアを開けたら、サリーが僕の横をすり抜けて、飛び出して行ったんだ。直ぐに追いかけたんだけど、速くって見失ってしまった。ごめんなさい」

「えっ! それで、まだ戻って来ないの?」

「うん、あれからずっと待って居るんだけど、戻って来ないんだ。迷子になったのかもしれない」

「今日、散歩に連れて行ったの?」

「いや、雨だからやめたんだ。それで、僕もそれが原因かと思って、散歩のコースも探したんだけど、何処にもいなかったんだ」

 母は、困ってしまった。由二が修学旅行から帰ってくるまでに見つけなければならない。 

「明日、警察に届けて来るわね。写真はあったかしら?」

「あるけど、警察は、迷子犬なんて、何もしてくれないよ。人間の捜索願だって、連絡が有ったら動くだけだから」

「それでも、誰かが通報してくれれば、連絡が入るでしょう。マルチーズなんて外で飼う犬じゃないんだから、沢山お願いしないと」

「それもそうだよね。それじゃあ、迷子犬探しのビラを作ろうか?」

「明日、帰って来なかったらそうしましょう。ポストに入れたり、駅に貼って貰ったりして、配りましょう」

 結局、サリーは帰って来なかった。ビラも作って、近所のポストに入れ、駅と郵便局の掲示板に貼って貰った。バス停にも貼って貰った。良く行くコンビニストアのレジにも、貼って貰った。

 

由二が修学旅行から帰って来た。

でも、そこには、もう、喜んで迎えてくれるはずのサリーはいなかった。

由二は、サリーへのお土産に、小犬の絵の付いた、バンダナを買って来ていた。

 由二は泣いた。

僕も泣いた……その日も、雨が降っていた。

 もう、小犬は、嫌いになった。

雨は前から嫌いだった。

皆を不幸にした小犬と雨……。

高2進級前の春だった。

 

閉鎖病棟の皆も、色々な事を思い出していたのかも知れない。泣いている患者も沢山いた。

その日は、病棟に戻っても、患者たちは、皆デイルームに集まって、テレビ鑑賞をする事もなく、クリスマスツリーを囲みながら、ただワイワイとはしゃいでいるだけだった。

光一は、直ぐにベッドに戻って、カーテンを閉め、その後、出ては来なかった。

デイルームからは、沢山の笑い声が、響いて来る。

閉鎖病棟に、ほっこりとした、賑やかで、楽しくて、でも、ちょっぴりと、湿っぽい、特別な夜が更けて行く。

「メリークリスマス!」

 

年末には、夕食の後、年越しそばがふるまわれ、特別に消灯時間が延長されて、デイルームで、赤白歌合戦を見る事が出来た。

年始には、朝食に紅白のお菓子とみかんが付けられて、その他に、年の干支をあしらったカードが添えられていた。そこには、患者の個人名と一緒に「明けましておめでとうございます」のメッセージが書かれてあり、皆を喜ばせた。

患者が手の届かない、ナース・ステーションの閉鎖病棟内受付カウンター上には、大きな鏡餅が、ドンと置かれて、飾られているのが見える。壁には、半紙が貼られ、そこには、大きく一杯に墨で書かれた、新年を祝う筆文字があった。

「謹賀新年 三号棟」

 

年が明けた。

群馬工場、資材の野田は、3日の朝見た初夢を思い出していた。

おかしな夢だった。他人の電話を隣で見ている自分が居た。

大手工作機械メーカーから入った、OEM製品に対するクレーム電話の様だった。但し、工場に入った電話ではない。他営業所の誰かに入ったものを、自分が脇で聞いている格好になって居る。

さすが、夢だ。つじつまが合っていない。スピーカーホーンにでもしない限り、人の電話が脇で、聞けるわけが無いのだ。 

しかも、電話を受けている人間の顔が、見えているのに、誰だかわからない……

「お宅とは、別にAQLの取り決めをしているわけではないが、日本の完成工業製品としてAQL40のNGは有り得ないだろう。お宅の生産工場は本当に日本なのか! そもそも、お宅の製品は全数検査で納入されているわけだから、AQL0のはずだろう? いや、もちろんそんな数字は、AQLの規格には存在しなくて、0・1が最高値だが。その最高値でも、コンスタントリー・クリア(常に合格状態)じゃないと駄目だろうが! 検査証と合格印が全ての物に付属して来ているのだから。それなのに、この数値は、おかし過ぎる。お宅では、本当に検査しているのか? 本当はこの合格印って、アニグザメント・スタンプ(見ないで押す印)じゃないのか?」

 

参考:AQL(Acceptable Quality Level)とは『合格品質基準検査』の事。日本工作規格『JCS9015x‐1z』(架空)に規定されている検査数値。数値が小さいほどハードになる。

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今回も読んでいただきまして、有難うございました。

いよいよ、次の章では、JIMGFが始まります。

また、宜しくお願いいたします。meganeji