天の国、「高天原(たかまがはら)に生まれた兄妹夫婦神、イザナギノミコトとイザナミノミコトのお話は有名です。
私どもの時代では、小学校の教科書にも挿絵付きで載っていました。
確か、こんなお話だったかと記憶しています。
日のもとのはじめ、二人は、未だ半液状態だった地上を固めるべく、「天野沼鉾(あめのぬほこ)」を持って「天の浮橋」に行き、その鉾で地上をぐるぐるとかき混ぜて、練って固めるべく一生懸命頑張りました。
ぐるぐるとかき混ぜて、やがて固まってきて、鉾を上げたその時に、垂れたしずくからできたのが、最初の島「おのころ島」です。
二人はその島に上陸し、「天之御柱(あめのみはしら)」を立てて、「八尋殿(やひろどの)」と言う宮も建て、夫婦の契りをかざして交わったというIncestなお話でした。
おまけに最初は上手くいかず、軟体奇形児の「ヒルコ」を生んで、海に流してしまうという、人で無しなお話でもあった様な気がします。
それで次からは、やり方を変えて、イザナギの方からイザナミを誘い、最初と逆の方向に柱を回ってから交わって、生まれたのが「豊秋津根の大八島(とよあきつねのおおやしま)」と言う日本列島の各島々なのです。
その後は、こつを覚えて何回も交わって、山・海・河・野・草木に岩の神、土の神、風の神・五穀の神など様々な神を生み、順調だったのですが、最後に生んだ神が「火之迦具土(ほのかぐつち)」と言う「火の神」だった為に悲劇が生まれてしまいました。
「火之迦具土」は、イザナミの陰部を焼いてイザナミを死なせてしまったのです。
怒った、イザナギは、持っていた名刀「アメノオハバリ」で、わが子「火の神」の首をはねてしまうという元祖DVに出ます。
そうすると、そこから元祖再生魔人の様な事がおこり、飛び散った血や肉から新たな神々が生まれて来るのです。
この時生まれた神の中には、後のスーパーヒーロー「タケノミカヅチ」もおりました。
一方、DV後でもイザナミをあきらめきれないイザナギは、イザナミに会いたくて、死者の国、黄泉国(よもつくに)まで行くのです。
長い、長い地の洞窟を下り、たどり着いた黄泉の御殿で、何とイザナミは待っていました。
喜んだイザナギは、「一緒に帰って国づくりを続けよう」とイザナギを説得します。
「もう、遅いヨモツヘグヒが済んでいる」そう言ったイザナミですが、
やがてイザナギの熱い言葉に心動かされ、黄泉の主、黄泉大神(よもつおおかみ)に、お願いしてみようと決心するのです。
そして「決してここを動かず、私の姿を見に来ぬようにお願いします」と言い置いて、その場を去って奥に行ってしまいます。
しかし、いくら待ってもイザナミは戻って来ません。
それもそのはずです。
イザナミは、すでに「ヨモツヘグヒ」(死者の国の食べ物を食する事)を行って黄泉国の住人になっているのです。
そうなった以上は、いくら頼んでも、もうこの世には戻れません。
いくら黄泉大神に頼んでも、らちが明かないのです。
それを、知らないイザナギは、イザナミの様子を見ようと奥へ行きます。
しかし、そこで見た者は、変わり果てた醜い姿で、大神に暇乞いをするイザナミでした。
「これは、やばい!」と、慌てて逃げるイザナギ。
それに気づいて追うイザナミ。
「よくも、よくも私に恥をかかせてくれたね=」
そう言って、黄泉醜女(よもつしこめ)と、わが身に住み着く醜い雷神をけしかけて追って来ます。
必死に逃げるイザナギは、追い付いて来る黄泉醜女に向けて、自分の頭に付けていた冠を投げつけ野ブドウと化さしめ、黄泉醜女に食らわせて時間を稼ぎます。
でも、直ぐに食べられて追って来るので、次に櫛を投げて筍(たけのこ)と化さしめ食らわせます。
しかし、こちらも直ぐに食べられて追いついて来るのです。
もう大変です。
雷神が襲い掛かるのを剣で防ぎつつ、やっと地上の境界線にある「黄泉の平坂」まで、たどり着きました。
するとそこには、邪気を払うという桃の木が生えていたのです。
その桃を取って投げつけて、ひるんだすきに千人大岩を転がして、道をふさいでしまいます。
間一髪で危機を免れた、イザナギ。
すると大岩の向こう側からイザナミの呪いの言葉が聞こえて来ます。
「いとしい、いとしいイザナギよ、これほどの仕打ちをするあなたには、その国に生まれる人間を毎日千人ずつ呪い殺してあげましょう」と、
そうはさせじと、返し(呪詛返し)を応酬するイザナギ、
「いとしいイザナミよ、良いだろう。ならば、私は毎日千と五百の人間を増やして見せようぞ!」
そう言って、人間界はそうなったそうな。
この後イザナギは、黄泉国で付いた体の穢れを清い川の水で洗って落としました。
それが、世にいう最初の「禊祓(みそぎはらえ)」です。
その禊祓からは、なぜかイザナミの力を借りずとも神々が誕生し、災いの神オホマガツヒや、浄める神オホナホビ、海の守護神ワタツミノ神など、世に知られる多くの神々が生まれて来たそうです。
三貴子(みはしらのうずのみこ)もこの時に生まれた神たちで、左目を洗った時に、太陽神アマテラス、右目からは月夜神ツクヨミ、鼻を洗うとスサノヲが姿を現しました。
では、聖書で言う天地創造がこれに当たるのでしょうか?
内容的にもちょっと無理が有りますね。
古事記では、はっきり天地創造とは書かれておりません。
人間を造ったとも何処にも書かれていないのです。
人間は、何処からともなく湧いて出た? いえ、最初から居た様なのです。
???
しかし、イザナギとイザナミの前に神がいるのです。
それは、天地の出現とともに現れた、三柱の神(神道では、神を柱で数える)で、独り神。
その名を「アメノナカヌシノカミ」・「タカミムスビノカミ」・「カミムスビノカミ」と言います。
しかし、この神は、姿かたちを現さずいつの間にか消えてしまうのです。
その後現れて来る、二柱の神「タカミムスヒ」と「カムムスヒ」も名前だけ出て、同じようにいなくなってしまいます。
ところが、古事記では、この名前にこそ意味があると、江戸時代の国学者「本居宣長」が指摘しているのだそうです。(参照:『とんでもなく面白い古事記』)
すなわち、「ムス」と言う語は、「苔が生す」や「息子」や「娘」に通じて「物の成り出る」意味を持ち、「ヒ」は、「物の霊異なること」を意味するというのだそうです。
この書では、ここ迄しか書かれておりません。
で、私が予測するには、「アメノナカヌシノカミ」を中心として、「タカミムスヒ」と「カムムスヒ」が天地と宇宙の基を造り、別天に隠れて物の成り立ちの基となる力を出し続け、新たな「タカミムスヒ」と「カムムスヒ」は、「作られた物に異なる霊(魂)を入れるために」配置せられているのではないかと思います。
ですから、「アメノナカヌシノカミ」が天地創造のための中心の神で、他の四柱と合わせて、「別天神(ことあまつかみ)」と呼ばれているのです。
ひょっとして、その後のイザナギ、イザナミを含む十柱の神たちも「別天神」が作ったのかもしれません。
???
そして、イザナギやイザナミ以降の神たちは、なぜか積極的に人間界に関りを持っていくのです。
聖書の神とは明らかに違いますね。
聖書の神は唯一神、英語のGODは死にません。
古事記に出て来る別天神(こちらも、記述の無い良くわからない神ですが)以外の神は、どちらかと言うと人間に近い存在で、ケガをしたり死んだりします。
性別も有り、男女で交わり、子を成しもします。
★私には、古事記の神達やその記録にある出来事は、どちらかと言いますと、渡来人たちの日本発見、大和朝廷統一の過程を神物語化して、編纂したものがもとにあるものと思われます。
稗田阿礼の口述で太安万侶はそれを筆記、共同で、更に編纂したという事です。
(古事記の元となったと言われる、それ以前の2書は記録に残っていない、稗田阿礼の記憶の産物なのですから)
そして、その8年後に誕生する日本書紀自体は、それをもっと大和朝廷の為に創作編纂された書物として作られるるわけです。
それで、天皇家は世界最古の家系を持つ、現人神(あらひとがみ)の王族証明となっているわけですから凄いものです。
いや、現代まで、その家系が続いて来たという事の方が奇跡でしょう。
ですからこそ、世界で一目置かれ、尊敬される貴重な王族なのだと言えるのです。
話は脱線しましたが、私としましては、古事記の神は、どう読んでも人間の神格化なのです。
神の概念が違うと言われればそれまでですが、『三貴子』の時代になるとそれがもっと人間として書かれております。
神と言うよりは、超人なのです。
旧約聖書に出て来る英雄や王達の記録の様です。
そう言うわけで、私としましては、イザナギ、イザナミ神話は、神の日本創造ではなく、大和朝廷のディスカバー、アンド、ユニファイ、ジャパンの物語ではないかと思えてしまいます。
勿論、神話は神話なのですが。
現地民族よりも、凄い異種能力を持った超人『現人神』朝廷の日本平定神話です。
以上、meganejiのちょっと日本神話考察でした。
聖書に出て来る黄泉は、こちらです。👉 聖書の『黄泉:よみ』とは 古事記の黄泉国ではない、Enochが見た聖書の黄泉
聖書の創世記は、こちらです。👉 『創世記を少し1』